触れたい

最初は、好きになっていることにした、ぐらいの軽い気持ちだったのだろうと思う。

そういうふうに浮かれたいだけだったのかもしれない。

あたしは一生懸命ながらも、不純だった。


きっかけは 何でもよかったノ
ワタシの背中を押してくれれば、どんな理由だろうと…


血に飢えたケモノみたいに…

モガき、焦がれテ。

全てを得ようトスル…存在と同調した。


けれど話をしていく中、幾度となく 彼のあまりの空気の読めなさと、それ故の純粋さにハッとさせられた。

あたしはいつの間に、相手の反応まで読んだ上で発声発言するようになったのだろう。

自分がして欲しい返事を貰いたいがために誘導するような言動をしても、アが意に沿ってくれたことなんてありゃしない。なにコイツwと、いつも思っていた。


けれどそれ故にどんどん好きになっていったような気がする。

なんて言動が読めない奴なんだ、じゃあ読んでやろうじゃないかと。

なんて何も知らない奴なんだ、教えたとしたら一体どうなるんだろうかと。

へんなチャレンジ精神を掻き立てられていったんだ。


…そしてだんだんと。

…会いたいと、本当に触れたいと、最初に望んだのはいつだっただろう?


毎日少しずつチャットやチャレをしていく中で

どういうひとかというのが、少しずつわかってきて。


少しずつ。

お互いが相手のことについて興味がわいてきたのだと思う。

こんな自分を好きになる変な奴って、一体どんな奴なのだろうと。


けれどあたしは

会うということが、終わりの始まりになりそうで、それをとても怖がっていた。

会うと、会えない時間が切なくて、切なさがすれ違いを生んで、すれ違いの連続に心が耐えられなくなる。

…それは、あたしの過去の遠距離の経験。


だから、会うのが怖かった。

会おうという話になるのが怖くて、写真が見たいとか声が聞きたいというリクエストもずっと、断っていた。

だけど、好きだった。今考えると虫のいい話だ。


断り続けるのも申し訳ないかなあと思い始めていた頃

ある時会話が止まっていた状態になったので

いたずら心で、メッセの表示アイコンを自分の横顔にしてみた。


するとまあ、すさまじい反応。

画面キャプチャーの方法をその時知らなかったアの必死さに思わずふいた。

(…とか本人にはその時決して言ってないけど。)

そうしてやっぱりそれから、会おうって話が進み始めた。


『話したいことはたくさんあるけど

 いきつくところは「触れたい」

 今まではね、始まる前から終わりが見えていた

 望んだことがないから。』


「望みが欲しいと言ってたね。望みたいと。」


”望みたい”

以前、ぽつりとそう話してくれたことがあったんだ。

今まで自分は、人に望みを持ったことが無いのだと…。

なんて寂しい言葉なんだろうと、思った。


『与えてあげるのは慣れている

 けれど、どうして欲しい?ときかれた場合に

 なんでもいいよ、と答えてしまっては

 一見やさしいようで、そこには、相手を想う気持ちがない


 だからねねすこ。今回違うのは

 自分が相手に、小さくても「望んで」いること

 自分にはまだ終わりが見えていないこと

 だからこそ踏み込んでみたい』


でもやっぱりあたしは、怖かった。

触れたいけれど、怖かった。


『会ったところで、妄想は消えないと想いますヨ

 会話と一緒でできないことのほうが多いに決まっている

 1回会って飽きるようならウチは初めから扉を開けていない

 閉じたままの自分ならいくらでもあってやるけどね

 今回は結構悩まされるね(笑)


 漠然と会いたいんじゃなく

 自分を見る者としっかり対峙したい

 んで、悶えたい』


年が明け、2006年1月。

『ああ・・手を伸ばせば掴める場所まで来ているんだなあ・・・

 自分が望んだもの

 せめて手放さないように。手放さないように・・・。』


初めて会う日を目前に控えての、彼の一言。

何も望まなかった彼が、こう言ってくれたのがとてもとても嬉しくて。すごく大好きな一言。


そして、同月中旬。

その日がやってきた。