成れの果て


私は、ゲームの子供だった。

物心ついた頃から、ただひたすらゲームをしていた。

自分の思考とは無関係に、ゲームのルールに沿って、数多の敵を殺していた。


ゲームが好きだった。

でもいつの頃からか、心の中に、無意味に敵を殺し続けることへの悲しみが在った。

自分より遥かに劣った性能の敵を沢山殺しまくることで、スコアを稼いだり、レベルが上がって自分が強くなったり、レアアイテムを出さなければならない、そんなゲームシステムへの疑念も。


ずっとずっと。ゲームを愛しながら、ゲームに失望していた。

ゲームに失望しながらそれをどうしようともせず、離れられず依存している自分にもまた、失望していた。

敵も、勝ち負けも存在しない、リズムアクション系ゲーム(所謂音ゲー)に逃避したり、

逆に、ほぼ対人しか存在しない、格闘ゲームにのめり込んでみたり。

…物心ついてから今まで、様々なゲームと出会い、プレイしてきた。


そしてついに、ひとつのゲームに辿りついた。

敵を殺さなくていい。無意味な事をしなくていい。確実な答えは存在せず、決まったシナリオも存在しない。

経験値は目に見えないけれど、自分の内に確かにたまっていき、それによって対象を攻略する。

実に奥深く、面白いゲーム。


それは・・・他人の心だった。

ひとと出会い、心を覗き、対象を選択し、自分に想いを向けさせ、通わせること。

そして共に生き、成長すること。

なんて素敵なゲームなんだろう!私はその"ゲーム"に出会う度、のめり込んでいった。




―自分が、他人の感情を食い物にして生きる、ネットゲームに巣食う妖怪のようなモノだ、という事に気付いたのは、大分後になってからだった。