PSOBB TAランキング

当時あたしはできるだけ毎日、日報をつけていた。

ルーズリーフに、日々の晩御飯のメニューとちょっとした日記、やったチャレと面子と結果をつけていた。

今も正確な日にちがわかるのは、その日報のお陰。

2005年4月16日。

13Lの皆様のC6部屋に乱入させてもらった時のことだ。

4えりスイッチ部屋解除中、Hclさんがテンション高く「どうする?誘っちゃう?」と発言していた。

何の話だろう?と思ったら、スイッチが終わる前にギルカが飛んできてびっくりした。

C6終わった後に13Lに招待され、一緒にチャレをした。


2005年4月30日。

アについての次の記憶。初めて、13Lの皆様から限界を誘われた時のことだった。

アはHclだった。初心者と紹介されたあたしを見てたった一人、こう言ったんだ。


『そんな人(あたしのこと)に、限界なんて

 ディープな事をさせてもいいんですか』


面子は誰でも、居るだけでいいんだという感じの中、シビアな言葉が、逆にとても嬉しかったんだ。ああこの人も、本気でチャレをしているんだなあと、そう感じられたから。

このHUclの人が、先の"盾置き"の黒い鉄であり、他の鉄でもかなりよく一緒にチャレをしていたことを知ったのは、これからまた数日経ってのことだった。


彼に少し、興味を持った。シビアでクールな雰囲気が気に入った。

…でも、今思うと空気読めない&ブラインドタッチできなくて発言が遅い人なだけだ…。

まあきっとKIMERAという名前がいけなかったのだろう。あたしはTAITOファンであった。

けれど当時は恋愛感情は無かった。他に好きな人居たし。



彼とよく話すようになったのは、2005年の6月からだったろうか。

その月、PSOBBでチャレンジタイムトライアルが開催された。


上位を狙うにあたり、面子不足の為、何故かあたしに声がかかった。

チャレロビで専らTA部屋に乱入し始めて3ヶ月程度しか経ってなかったし、他の人達と仲良くなってから2ヶ月も経過していない状態でのことだった。

腕は無かったけれど暇はあった。アも一緒にするらしい。

FOなら何とかなるんじゃないかと思った。

しかし実際は、それまであまりHUしたこともなかったのに、HUでの参加。

承諾後、最初に集まる直前、そう告げられて愕然とした。


右も左もわからないまま、BBの限界は始まった。

そうして予想通りあたしは、あからさまに足を引っ張っていた。

スライムを見逃してる。 コンボが途中で途切れて、転倒する。 しょんぼりする瞬間。 
あたしは、観察力が足りないんだろうな。 レーダー見てなさすぎって、すもぐりでも言われてしまう。 
出来るだけ、出来るだけ気をつけているはずなのに フッと注意が目の前の敵に向けられた瞬間に、間違いが起こる。

 観察力の足りなさを補うだけの経験もなく、 ただ…ただミスをするだけ。

 (当時の日報より)

自分もしんどかったし、周りもしんどがっていた。チャレンジをやめたいと思った。

まだチャレロビに来る前、チャレを覚える前なら、そう思ったことはあったけれど、チャレロビに来て皆と出会い、チャレの楽しさを知ってから"やめたい"と思ったのは、後にも先にもこれっきりだ。

思い返すたびに「今のあたしで出来れば、まだましだったのに」と思ってしまう;


当時のあたしには…辛かった。

毎日、泣いていた。


一方、彼は、アインハンダーという鉄を作り、その鉄で、あたしと共にチャレンジタイムトライアルに臨んでいた。

「ア」とはアインハンダーの略である。(私は呼び名が短いほど信頼度が高い)

もちろん当時はそう呼んではいなかった。(…毛どの だったっけ…w)


BBではタイムトライアルと同時進行で、チャレの各ボスの撃破数を競うコンテストも行われていて、沢山のC1,C4,C6,C9部屋があったらしいのだけれど、彼は限界が行われていない時間帯には、BBのチャレロビでひたすらC6をやっていた。

日々チャレンジへの意欲を失いつつあったあたしとは対照的だった。

どんだけストイックな奴なんだと、思った。


元気なくぼーっとEp4の周回をしていたあたしに彼はちょくちょく声をかけてくれた。

初めてふたりきりで、雑談めいたものをやった気がする。

たった一人、めげているあたしを何となく励まし、限界中も何となく庇ってくれるひとだった。

後で聞いた時には、その記憶も無い上にそんなつもりは無かったとか言ってた(^^;

ついでに当時は、あたしのことを自分と同性と信じて疑ってなかったらしい。


結局チャレンジタイムトライアルの限界は、ある程度までタイム出した後

あたしは(最初の方で書いてたHclの人)と交代して貰った。

(交代中は1回もマップが出なかったそうで…本当に申し訳なかったです)

最後の2日のみ少しだけ参加してタイムを削ってもらった。

自分も、一緒に限界をしてくれた皆様も、共にランクインすることができたので本当に良かった。

色々と苦い思い出があるものの、結果的にこの限界のお陰さまであたしのチャレンジスキルは随分とましになった。

まだあたしと彼が、ただのチャレンジ友達だった頃の話。

アは↑の画像とってなかったらしく、今「なつかしー!」ってめっちゃ喜んでた。

賞品はこんなでした。(後ろのコースターセットは関係なし)

これはアが貰ったやつ。プーシャンはお揃いでつけてたので無いのです。

私のはシャトは一番最初の身内でチャレ教えて貰ってた師匠に、ソニチはDCPSO見せてもらった知人に、それぞれ差し上げました。