Rootage/最高の景色
(2020/03/04 twitterより)
戦闘ばかり重視する人が多すぎなんよ!!違うんよ!ってことがとっても言いたい
これも大分誤解されてるけど、TAはある程度までは戦闘力は重視されない。
要点覚えるだけで、あとは回数やって経験積めば誰でもTAはできる。
他の人の武器等見つつ扉についてスイッチ回収ちゃんとやってくれる人であれば、戦闘でコケようが事故ろうがTAとしての流れはマトモなものになるのだ。
ちゃれTAの経験値は目に見えない。でも確かに己の内に貯まっていく。
コケて、事故って、sry言いまくって、いつまでも見えない動けない自分に腹が立って、でもそれでもやり続けていると、何となく自分の出来る事が増え始める。
少しずつ周りが見えてくる。
最初は「調子の良い時」だけ。でも次第にその時間が増す。
「今日は調子が悪かった」そう思える/言えるようになったのならもう、ちゃれTAの中に己を見つけたということになる。
だんだんと息をするように自然と、敵も皆の行動も、様々なことを把握し動けるようになる。
戦闘力というものはその位、本来はゆっくり身に着けて良いものなのだ。
私もそうだった。
最初は人数埋めで始めたチャレだったし、全然その空間が好きではなかった。
惰性でやっていただけだった。
色んな所でミスをし、色んな人に迷惑をかけた。
それなのに、いつの間にかTA人になっていた。
先達の背中を追いかけていただけの自分が、それを意地で続けていただけで、いつの間にか。ちゃれの中で先達と一体となって走る悦びを知ってしまっていた。
嬉しくて幸せで、私はちゃれをしまくった。
…それが将来的にどのようなことになるのか、考えもしなかった。
ちゃれは、ただただ、幸せだった。
それでも色んな事があって、ちゃれが出来なくなる時がある。
PSOを離れてしまう時はいつも、全てを片付けて、一切見ないようにして、眠りにつく。
脳は繰り返し、ちゃれの光景を再生しつづけるけれど、それもだんだんと薄れていく。
けれどそうやってPSOを離れて様々なゲームを彷徨ったにもかかわらず、チャレTAほど気持ち良いゲームに出会えず、結局出戻るのを繰り返してしまっていた。
何度も、何度も。辞めては出戻った
他人からみれば実に無駄なことかもしれない。
最高の景色
そして何年もの間で、色んな人とちゃれをやって、やっと私は自覚した。
私の人生での一番の幸せは「チャレ(TA)をやること」なのだと。
人生のどんなことも、この最高の景色には敵わないのだと。
最高の景色。全てから解き放たれる、あの瞬間。
・・・
全ての感情が失われた、あの静寂を味わったことを認識した時にはもう、それは終わっていて
気持ち良さの余韻で満たされて、多幸感で脳が蕩けている。
気持ち悪いぐらい、私の心はちゃれに奪われているのだ。
長い年月をかけて、私はそれを自覚した。
ちゃれ以外の生き方を見つけられたちゃれ人はしあわせだな…
私にはどうしても見つけられなかった
私は精進し続ける。書き遺し続ける。
一日でも長く、ちゃれをし続けるために。
未来の自分へ少しでも、この最高の景色の記憶を伝えるために。
2025年
「昔の自分に勝てる部分を一つでも見つけたい」
昨年末から今年初めにかけて、私がことあるごとに口にしていた言葉。
気が付けば私は、そんなことを考えなくなっていた。
そしていつの間にか、昔の自分に負けている部分が今の自分には一切無いことに気づいた
今まさに私は本懐と共にある
だから離れてしまったら、もう二度と此処には戻らない。
チャレを始めて、20年の月日が経過していた
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